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当事務所は二人の一級建築士がいます。今まであんまり公にしていなかったですが(^^ゞ

で、事務所のホームページの更新頻度を高めるために、二人でなるべく交互に、なるべく定期的に記事をアップしていこうと、2009年に思いつきました(笑)。

そんなわけで、この「スタッフブログ」が始まりました。
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スタッフブログ - Room of Fカテゴリのエントリ

スキューズ数

カテゴリ : 
Room of F
執筆 : 
Blogger's Avatar  2010-4-13 18:35
理系の人は数学に魅せられる人が多い(と思う)。
皆さんは学生の時色々な問題を解いてきたと思いますが、その中に証明問題というのがある。

数学の証明問題はその条件を満たす全ての場合において成立しなければ証明したことにならない。つまりすべての自然数nに対して成立しなければならないならば「1」や「2」はもちろん気が遠くなるような大きな数に関してももちろん成立する必要がある。

たとえば「1」からはじめて「10000000000000000000」くらいまで検証して成立するならいいんじゃないの?と思うかもしれないが、そこまで検証しても「10000000000000000001」で成立することの証明にはならないのだ。

でもそんな大きな数に意味があるの?そこまで調べりゃいいじゃない。と思っていたが、数学にはとてつもなく大きな数が出てくるのだ。

それが「スキューズ数」だ。
数学の定理の中に素数定理というのがある。これは自然数の中にどれくらい素数が含まれているかを計算する式であるのだが、この計算は実際の素数よりこの計算で出した数の方が大きい(つまり実際の素数の数より多く出る)と思われていました。

しかし、この関係はスキューズ数という点で逆転し、計算より実際の素数が多く出るようになります。
このスキューズ数というものが、なんと10の1兆乗の1兆乗の100億乗という桁を持つ、とてつもなく膨大な数であり、数学の証明史上で最大の数と言われている。

因みによく天文学的数字という表現をするが、宇宙全ての原子の数でさえ80桁程しかないと言われているらしい。

こんな、ただただとてつもなく大きな「数」でさえ数学好きを魅了するのである。

世間は狭い

カテゴリ : 
Room of F
執筆 : 
Blogger's Avatar  2009-12-15 17:39
「友達の友達はみな友達世界に広げよう友達の輪」というのが昔あった。(ちと古い?)

何気に知り合った人が知り合いの知り合いだったり、結婚式に行くと全然関係ないつながりで知人が出席していたりと、世間は狭いと感じることを皆さんも経験したことがあるはずだ。

「スモール・ワールド現象」という言葉を聞いた事があるだろうか。これは知り合い関係を芋蔓式に辿っていけば比較的簡単に世界中の誰にでもいきつく、という仮説である。敢て日本語にすれば(広いようで)「世間は狭い」現象である。
この概念は、社会において人間同士がどのように結ばれているのかを明らかにする概念で、6人の共通の知人の連鎖を介せば、世界中のすべての人間と間接的な知人関係を結べる、という考え方である。
例えば、自分に20人の知人がいるとして、その知人にも20人の知人がいるとする。これを6回繰り返すと、自分には間接的に20の7乗つまり12億8000万人の知人が存在することになる。

これを実際に実験で試した人がいる。以前、私のブログでも紹介した「ミルグラムの実験」を行ったスタンレー・ミルグラムがこのスモール・ワールド現象についても実験してる。
簡単に内容を説明すると
「ある州の住人の中から無作為に抽出した300人に手紙を渡し、直接面識のない他の州の受取人まで届けるよう依頼した。このとき、受取人の正確な住所は与えられず、郵便ではなく知人(ファーストネームで呼ぶような親しい人)経由で転送するように指示し、何人の仲介者が必要かを調べた。最終的には、42通の手紙が友人のもとに届いた。なかには10ほどのリンクを必要としたものもあったが、結果としてリンクの平均値は5.5であった。」
というものである。(もちろん何度か行われている実験の結果の一つ。)

その他にも日本の大学の実験でも以下のようなものもある。
「九州から始めて「北海道の知り合いを紹介してください。もしいなければ、北海道に知り合いがいそうな人を紹介してください」と尋ねて何人目で北海道にたどり着くかを計測した。結果は平均で7人だった。」

もちろん上記の実験は全世界的なものではないので、世界的規模で行うとリンクの平均値は上がるかもしれない。しかし、(直感の話でも直感はあてにならないと書いたが)この数字は直感的に想像するものと比べて遥かに小さいと思う。
日本規模で考えても自分から始まって無作為に選ぶ他人全てに関して知人を7人程度しか介さないとは考えにくい。

しかし、この実験は実証的に社会ネットワークの“小ささ”を明らかにしている。

今日のSNS(ソーシャルネットワークサービス)では、友達の友達というようなリンクを辿る中でコミュニティへの参加、友人からの紹介文などが簡単に参照できるようにされていて、見知らぬ相手であるにも係わらずあたかもその人物の背景や人脈(ソーシャルネットワーク)が手に取るようにわかる。この機能が常に仲間達とつながっているという常時接続感を実現し、人的関係性を増進させる仕組みとして機能している。
このようなシステムが善いか悪いかは別話だが・・・。

このブログを読まれている人も私の知り合いの知り合いの知り合いくらいなのかもしれない。
まぁ「友達の友達はみな友達・・・・」なのである。

「Q.E.D」

カテゴリ : 
Room of F
執筆 : 
Blogger's Avatar  2009-10-15 15:33
「Q.E.D」 とはラテン語のQuod Erat Demonstrandumの略で、証明や論証の末尾におかれ、議論が終わったことを示す。数学で用いられる場合は証明終了という意味である。

この「Q.E.D」をタイトルとしたコミックがある。たいへん面白いので今回はそのコミックの紹介をします。(今年NHKでドラマ化もされました)

簡単に言うと、賢い高校生(15歳でマサチューセッツ工科大学卒業)が事件を解決していくストーリーで、数学専門の彼が事件を解決していく中で数学や物理の専門的な知識が披露される。とても画のタッチからは想像できない内容で、完全に大人が読むコミックである。

その中には以前ブログで書いた「鏡像」や「ミルグラムの実験」などの話も出てくる。その他には「オイラーの公式」、「無限の話」、「パラレルワールド」、「超ひも理論」、「モノポール」、「リーマン予想」など大人でも専門でないと理解していない言葉や理論がたくさん出てくるのである。

さらに、作者の加藤元浩氏は建築学科卒業ということで、舞台となる屋敷の平面図や建物の描写がとても分かりやすく、さりげなく背景にフランクロイド・ライトの落水荘(カウフマン邸)などが描かれ、それを理解できる僕にとっては2倍の楽しみがある。

この本をきっかけに僕は数学や物理の本を読むようになった。フェルマーの最終定理やパラレルワールドなどは全てにおいて理解は出来ないがとても興味深い。

みなさんも時間があればこの「Q.E.D」を一度読んでみてはいかがでしょうか。

作法

カテゴリ : 
Room of F
執筆 : 
Blogger's Avatar  2009-9-2 14:20
 昔は(今も?)敷居や畳の縁を踏んではいけないと言われる。私も敷居や畳の縁を踏んではいけないと祖母によく怒られた。

 しかし、なぜそうしてはいけないかは聞いたことがなかった。というより理由なんて気に留めたことがなかったのである。
 
 大学で建築を学び始めてそのことを思い出し調べたことがあったので紹介します。
ちなみに当然ですがそのようなことは大学の授業では習いません。(雑談くらいではあったらいいのにと思いますが。)

 なぜ、畳の縁や敷居を踏んではいけないのか?
玄関の引き戸、襖(ふすま)、障子など、一般家庭にも様々な敷居がありますし、畳には縁があります。昔からこれらを踏んではいけないと言われているのは、幾つかの説があるようです。

1. 身を守るための戒め
昔は、忍びの者が座の下に忍びこみ、畳の縁や敷居の隙間から漏れる光で相手の所在を確かめ、タイミングを見はからって刃を刺すこともありました。こうして命を落とすことは武士として大変恥ずべきことだったため、それを避けるための戒めが、和室のマナーになった。

2.家や家人の象徴として重んじる
「敷居をまたぐ」「敷居が高い」と いうように、敷居はその家の象徴なので、それを踏むことは家や家人を踏みつけることと同じと考えます。また、畳の縁はその家の格式を表しており、畳の縁に 家紋を入れることも多く、それを踏むことはご先祖様や家人の顔を踏むことになり、大変失礼なことなので、和室のマナーになった。

3.空間様式を崩さない
敷居には世間と家、部屋と廊下などを隔てる結界(境界のこと)の役目があり、畳の縁にはお客様と主人を区別する結界の意味があります。こうした結界を踏むことは空間様式を崩すことになるため、和室のマナーになった。

4.家を大切にする
敷居を踏むと磨り減ってしまいますし、家の建てつけが歪むこともあります。畳の縁も踏めば傷んでしまいます。そこで、家を大切にする気持ちとして、敷居や畳の縁を踏まないようにするようになり、和室のマナーになった。

 どれも、理由としては面白いがとりわけ私は「1.身を守るための戒め」というのが好きです。敷居踏むと祖母には、ご先祖様の頭を踏むことになると言われた。これは「2.家や家人の象徴として重んじる」そのものだろう。

 今となっては正確な理由はわからないとしても、そのような行為はあまり美しくない。
逆に旅館の女将さんなどが、歩幅も調整せずに敷居や畳の縁を踏まずに歩いている姿はとても美しい。

 このように、マナーや作法をさりげなく行うことが仕草や立ち振る舞いを美しく見せるのだろう。

錯覚

カテゴリ : 
Room of F
執筆 : 
Blogger's Avatar  2009-7-21 17:33
世間ではいよいよ明日に迫った皆既日食の話題で持ちきりだ。そのことについて今さら書いても仕方ないので、今日は別の話をひとつ。

皆さんは、月(特に満月)が大きく見えるという経験をしたことはあるでしょうか。
地平線近くにある月が大きく見えるということがあると思います。
以前、この疑問について調べたことがあったので少し紹介します。
もちろん、月は地球に若干近づいたり遠ざかったりするが、そんなものは月と地球の距離に比べたら誤差範囲なので、そのせいで大きく見えたりはしません。
この現象について原因ははっきりと分かっていないらしいのですが、有力な説の一つに人間の錯覚であるという説があります。

この説によると、人は空を見上げたとき、半球という認識ではなく、天頂が低いように見えるようです。
そう思って実際の空を見ると本当にそう見えます。特に地平線方向のほうが、天頂方向より遠いように見えます。
これは、天頂方向には何も見えないが、地平線方向には、建物や山などが見えるからだと言われている。つまり空はその建物や山より向こうにあると考えるので(当然だが)地平線方向は天頂方向に比べて遠く認識するのである。

だから?と思うかもしれないが、人間は、網膜に映りこんだ映像(これは左右上下逆転していて2次元映像である)を幾つかのアルゴリズムにより脳が処理(左右上下を戻し3次元化)することにより物を「見る」ということを行っている。
この脳が処理する時にちょっとした錯覚を起こすというのがこの説である。
これは人の経験が関係しているので、子供より大人の方が大きく見えるらしい。

どんな場合においても網膜に映りこむ月の大きさは変わらない(先に書いたように、月と地球の距離はほとんど変らないからだ)。
しかし、同じ大きさに映る月だが、見える場所によっては、遠かったり(地平線上であったり)、近かったり(天頂であったり)するので、脳が月の大きさを勘違いするのである。
(文章だけでは詳しく書けないので、気になる方は調べてください)

私も半信半疑だったが、今年の春に宮古島に行った時に、妙な光景を目にした。
都会で暮らしていると、常に私たちの目には建物などが入ってくるが、宮古島のような場所では、ホテルが立ち並ぶ場所から数百メートルも離れれば何もない自然が広がっている。つまり、ホテルなどが見える場所では(地平線は遠いと勘違いするので)月は大きく見えたのに、ほんの数分車で走れば月は小さくなっている。これはとても奇妙な体験で前述した錯覚説を裏付けるものではないかと思えた。

明日の皆既日食だけでなく天体には不思議で神秘的なことがたくさんある。
もし、そんな機会があれば意識的に月を観察するのもいいかと思います。

余談ですが、大きく見える時の月をカメラで撮影しても、現像したものは大きくないらしいですよ。興味のあるかたは是非試してください。
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